文章を書いたあとに、自分で読み返してみる。
誤字はないか。
言いたいことは伝わるか。
分かりにくいところはないか。
もちろん、それは大事です。
でも、自分で何度も読んでいると、どうしても分からなくなることがあります。
「これ、初めて読む人にも分かるかな?」
という問題です。
書いた本人にとっては、全部分かっています。なぜこの話を書いたのかも、その言葉を使った理由も、その前提になっていることも知っている。
だから、自分では「普通に分かる文章」に見えてしまう。
そんなとき、私はAIに別の読者になってもらうことがあります。
自分では気づかない「分からない」
たとえば、仕事の案内を書くとします。
自分では何度もやっている仕事なので、
「○○の手続きについては、前回と同じです」
と書いてしまう。
自分にとっては「前回」が何を指しているのか分かっています。
でも、その文章を初めて読む人には分からないかもしれません。
「前回っていつ?」
となる。
あるいは、仕事で当たり前に使っている言葉を、そのまま書いてしまうこともあります。
自分たちの間では普通の言葉でも、初めてその仕事をする人には意味が分からない。
こういうことは、自分で読み返していても意外と見つけにくいものです。
そこでAIに、
この文章を、初めてこの仕事をする人の立場で読んでください。分かりにくいところがあれば教えてください。
と頼んでみる。
すると、自分では気づかなかったところを指摘してくれることがあります。
「読者になって」と頼む
AIの面白いところは、読む立場を変えられることです。
たとえば、仕事の案内なら、
この文章を、初めてこの仕事をする人の立場で読んでください。
専門的な内容なら、
この分野について何も知らない人が読んだら、どこでつまずきそうですか?
誰かにお願いする文章なら、
この文章を受け取る相手の立場で読んでください。押しつけがましく感じるところはありますか?
というふうに聞いてみる。
これだけでも、文章を見る角度が変わります。
もちろん、AIが本当にその読者と同じ感覚を持っているわけではありません。
でも、自分とは違う立場から文章を見る「きっかけ」にはなる。
私はここが便利だと思っています。
「分かりやすい」は誰にとって?
文章を書いていると、「分かりやすく書こう」とよく言います。
でも、よく考えると「誰にとって分かりやすいのか」が大事なんですよね。
新聞記者をしていたころなら、読者にとって必要な情報は何かを考えて記事を書きます。
専門用語をそのまま使っていいのか。
説明を入れた方がいいのか。
どこから書けば読者が迷わないのか。
そういうことを考えていました。
でも、自分が詳しくなればなるほど、初心者の目線から離れてしまうことがあります。
これは文章を書く人に限らないと思います。
仕事を長くやっている人ほど、自分にとって当たり前になっていることが増えていく。
だから、文章を書いた本人が「これで分かる」と思っていても、読む側には分からないことがある。
AIに別の立場で読んでもらうと、そこを見つける手助けになります。
「ここが分からない」と言われると面白い
実際にAIに読ませてみると、
「この言葉は初めて読む人には意味が分からないかもしれません」
「ここで話が急に変わっているように感じます」
「この説明がないため、なぜこの結論になるのか分かりにくいです」
なんて指摘が返ってくることがあります。
そう言われてみると、
「ああ、確かに」
と思うことがある。
一方で、
「いや、そこは読者も分かるでしょう」
と思うこともあります(笑)。
でも、それでいいんです。
AIに指摘されたから直す、ということではありません。
「そういうふうに感じる人もいるのか」と、一度考える材料にする。
そのうえで、
「いや、今回はこの説明で十分」
と判断することもできます。
AIの意見をそのまま正解にしない
ここは大事です。
AIに「読者になって」と頼んだからといって、AIが言ったことが、そのまま読者の感想になるわけではありません。
AIは実際の読者ではないからです。
だから、
「ここは分かりにくいと言われた。じゃあ直そう」
と機械的に考える必要はない。
むしろ、
「AIはここを分かりにくいと感じたのか。なぜだろう?」
と考えてみる。
自分でも読み直してみる。
必要なら直す。
直さないなら、その理由を自分で確認する。
それだけでも、文章を見る目が少し変わります。
AIを「採点する先生」にするのではなく、自分とは違うところから文章を見てくれる相手にする。
私は、そのくらいの使い方がちょうどいいと思っています。
「読者を想像する」のが苦手でも大丈夫
文章を書くとき、
「読者の立場になって考えましょう」
と言われることがあります。
でも、これって簡単なようで、結構難しいですよね。
自分が書いた文章なのだから、自分の頭の中には前提が全部入っています。
それを一度捨てて、
「初めて読む人だったらどう感じるだろう?」
と考えるのは、意外と難しい。
私も、自分で書いた文章については、何度も読んでいるうちに分からなくなることがあります。
そんなときにAIに、
この文章を初めて読む人として読んでみて
と頼む。
すると、少なくとも「自分以外の目で読む」という作業を始めることができます。
それだけでも結構違います。
「読者を変える」と文章も変わる
同じ文章でも、誰に読んでもらうかで、直したいところが変わります。
たとえば、AIについてまったく知らない人に向けた文章なら、専門用語を減らした方がいいかもしれません。
仕事で毎日AIを使っている人なら、そこまで基本的な説明はいらないでしょう。
社内の人に送るメールなら、丁寧すぎる説明がかえって邪魔になることもあります。
友人に送る文章なら、もっとくだけた言葉の方が自然かもしれない。
つまり、「良い文章」というものが一つあるわけではない。
誰に読んでもらう文章なのかによって、良い文章の形も変わります。
だから文章を直すときは、
「もっと上手な文章にしてください」
とAIに頼むより、
「この人が読んだらどう感じますか?」
と聞いてみる方が、面白いことがあります。
AIに「別の自分」を作ってもらう
最近は、文章を書くときにこんな使い方もできるなと思っています。
自分の中だけで、
「これは分かりやすい」
「いや、ちょっと説明が足りない」
と考えるのではなく、AIに別の立場を持ってもらう。
「初心者として読んで」
「忙しい人として読んで」
「このメールを受け取る相手として読んで」
「この文章に初めて触れる人として読んで」
そうやって、一度自分の文章から離れてみる。
もちろん、AIが本当にその人になるわけではありません。
でも、自分一人では固定されてしまいがちな視点を、少し動かしてくれる。
文章を書くときには、これが意外と大きいんです。
書いた本人だからこそ分からない
考えてみれば、文章を書く仕事では、昔から「書いた本人とは別の人が読む」ということが行われてきました。
新聞社なら、記者が書いた原稿をデスクが読む。
編集者が著者の原稿を読む。
校正者が文章を確認する。
書いた本人が見落としていたものを、別の人が見つける。
AIに「別の読者になってもらう」というのは、それと少し似ています。
もちろん、人間の編集者とAIが同じというわけではありません。
でも、自分の文章を自分以外の目で見る機会を作るという意味では、便利な道具だと思います。
特に、一人で文章を書いている人には使いやすい。
誰かに「これ読んで」と毎回お願いするのは、ちょっと気が引けることもありますからね。
AIなら、夜中でも何度でも読んでくれます(笑)。
文章を書くときは「自分」だけで読まない
AIと文章を作るようになってから、私は「文章を書く」という作業の中に、読むことがかなり含まれていることに気づきました。
自分で書いた文章を読む。
AIが書いた文章を読む。
別の案を読む。
表現を比べる。
そして今度は、違う立場から読んでみる。
そうすると、
「ここは分かりにくいかもしれない」
「これは説明しすぎかな」
「この言葉は、この相手には固すぎるな」
と、少しずつ見えてくる。
文章を良くするために、必ずしも難しいテクニックが必要なわけではありません。
自分とは違う目で一度読んでみる。
それだけでも、文章は変わることがあります。
AIに文章を書いてもらう。
AIに文章を直してもらう。
そして今度は、AIに「読者」になってもらう。
私は最近、そんな使い方も面白いと思っています。
AIは、文章を書く人の代わりになるだけではない。
自分一人では持てなかった「別の目」を借りることもできる。
文章を書いていて「これ、本当に分かりやすいかな?」と思ったときは、一度AIに別の読者になってもらってみる。
意外なところを指摘されるかもしれません。
あるいは、
「いや、そこは違うんだけどな」
と反論したくなるかもしれません。
でも、それも文章について考えるきっかけになります。
結局のところ、AIに読んでもらっても、最後にどうするかを決めるのは自分。
そこは、これまでの記事と同じです。
最近は、そんなふうに思っています。
※本記事は執筆時点で確認できた情報に基づいています。画面表示(UI)や利用条件は変更される場合があります。最新情報は各公式サイト・利用規約をご確認ください。
💡 同じカテゴリーの関連記事です(近いテーマを優先しています)
